芳野中学校周辺の名所

 芳野中学校の周りには、数百年前の文化財が、数多く存在しています。その中でも、瑞龍寺と前田利長墓所は、芳野中学校の身近にあり、非常に親しみ深いものです。これから、この二つを中心に紹介していきます。
前田利長墓所  ここは、加賀藩2代目藩主であった前田利長〔享年53歳〕が葬られている場所です。この墓を造ったのは、3代目藩主であり、利長の弟でもあった利常でした。利常は、利長が亡くなったのには、大変なショックを受け、「むせび泣かずにはおられなかった」ほどだと伝えられています。利長の葬儀は、死後8日後の1614年(慶長19年)5月28日に、法円寺で行われました。(法円寺というのは、利長が、加賀藩初代藩主である父・利家と、織田信長を供養するために建てた寺で、法円寺が建っていた場所は、今の瑞龍寺の建っている場所なのです。)
 その後しばらくして、利常は亡き利長を供養したいと強く思ったそうです。そこで、方円寺に山門や鐘楼などを建てました。
 その後利常は、利長の33回忌である1646年(正保3年)に向けて、この前田利長墓所を造り始めたのです。完成当時は、敷地面積が約16万平方メートルもあり、墓を中心に二重の濠がめぐらしてあったのですが、明治時代になってからは、敷地の一部が民間に払い下げられたり、芳野中学校のグラウンドや、高岡市営テニスコートになったりして、現在では元の大きさの10分の1になってしまいました。
 しかし、このように大きな墓は、全国にも見当たりません。利常がいかに大きな墓を造ろうとしたかがわかります。なお、墓所に向かい合うように、南側に繁久寺という寺があります。利長の33回忌の法要はこの繁久寺で5月1日から20日まで営まれました。約千名もの僧が集まり、金沢からは利常の家臣達が交代でやってきて参拝し、法要の後は能の上演が行われた、と伝えられています。
瑞龍寺  瑞龍寺は、先ほど説明したとおり、法円寺があった場所に建っています。元々は、この方円寺をもとにしていくつかの建物が建てられたにすぎませんでした。その為、前田利長墓所よりも見劣りがしました。
 そこで、1663年(寛文3年)の50回忌へ向けて、新しく作られたのが、この瑞龍寺だったのです。工事は1645年(正保2年)に始まり、18年かかって完成しました。利長の50回忌の年に完成したのです。
 国宝瑞龍寺は、今でもかなり広い敷地ですが、完成当時はもっと広くて、約12万平方メートルありました。完成当時の前田利長公墓所ほどではありませんが、それでもかなりの広さです。前田利常が、この寺を造らせたのですが、その理由としては、3つのことが考えられます。
 1つは、兄であり、養父だった利長へ思いを表すため。(利長と利常は31歳も違っていて、利常にとって利長は父のような存在でもあったのです。)
 2つ目は、戦いが起きたときに備えて城の役目を持たせるため。
 3つ目は、高岡に住む人々にいつまでも利長を偲んでもらい、この瑞龍寺が町の繁栄につながるように願ったためと考えられます。

 ここからは、瑞龍寺の内部を見ていくことにしましょう。
まず、瑞龍寺に来て最初に見るのが総門です。この門は、見るからにどっしりとした感じを受けます。屋根を支えている柱はとても太く、又、大きな板の扉にはいくつもの金具が打ってあり、まるで城門のような感じがします。
 総門を抜けると、正面にさらに大きな門がみえます。それは山門といって、なんとそこからが瑞龍寺の正式な内側なのです。山門の造りは2階建てで、屋根のてっぺんまでは約17メートルもあり、5,6階建てのビルに相当する高さです。門の左右には仁王が立っています。向かって右側の口を開けているのが「阿形」(あぎょう)、左側の口を閉じているのが「吽形」(うんぎょう)と言います。これらの仁王には御利益があると信じられてきました。
 山門を抜け、まっすぐに進んでいくと、白く光る屋根の建物にたどり着きます。これが仏殿で、瑞龍寺の中心です。屋根が白く光って見えるのは、鉛が葺いてあるためで、全国でもここと、金沢城の石川門だけにしかありません(もっとも、この2カ所とも加賀藩の所有建築物だったのですが・・・)。鉛が葺いてあるため、屋根の重さだけで約47トンもあります。仏殿の内部には3体の仏像が安置されています。真ん中が「釈迦如来像」、向かって、左が「普賢菩薩像」(ふげんぼさつぞう)、右が「文殊菩薩像」(もんじゅぼさつぞう)といいます。天井の中央からは「天蓋」(てんがい)という何枚もの細い布きれが下がっています。これは、仏像の上にかざすための布です。なんと仏殿が建った時から吊してあるのです。蓮の繊維と絹でつくられています。
 仏殿の裏から、法堂(はっとう)へ行くことができます。法堂は瑞龍寺の中で1番大きな建物です。屋根には銅板が葺いてあります。中に入って、ちょっとした階段を上がると、3つの部屋が横に並んでいます。その奥にもそれぞれ部屋があり、合計6つの部屋があります。特に真ん中の二つの部屋のことを、奥は内陣、手前は外陣(げじん)といいます。部屋とはいっても、内陣が24畳、外陣が28畳あり、とても広いです。内陣と外陣の天井は格子状になっていて、格子に囲れた1つ1つに、草花の絵が百以上も描いてあり、また、内陣の襖や壁には金箔が貼ってあったりと、大変ゴージャスな造りになっています。禅堂は、「雲水」(若い僧)たちが座禅をしたり、食事をしたり、眠ったり場所です。土間の奥に「文殊像」が安置され、その左右の壁に沿って細長く座禅をする場所がります。修行の場ですので、他の建物に比べると、簡素な造りになっています。